2017年07月03日

■小西百々代さんについて。(1945年7月4日高松空襲)

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戦争を知らない世代へ7 香川編たかまつ7月4日
創価学会青年部反戦出版委員会・編/第三文明社


(創価学会さんの出版なんですね。たしか、公明党さんも画廊に多数出入りされていたなあ…)


太平洋戦争といえば、忙しい生活を送っている私たちにとっては前世のような遠い話…。
正直、忘れていると言っても過言でないと思います。

8月の原爆投下記念日、15日の終戦記念日の報道を聞き、「ああ70数年前に、戦争が終わったんだなあ」と思うくらいでしょうか。あとはお盆休みの残りが気になるくらいだったりしますね、正直…。
しかし、終戦前の6〜7月は、東京大空襲に引き続き、大阪、神戸などの都会だけでなく、岡山、熊本、呉、下関、姫路、高松、徳島、高知、千葉、明石、和歌山、松山…と地方都市の空襲が続きました。
皆さんがお住まいの地区でも、あったかもしれません。

高松空襲は、1945年7月4日でした。
ちょうど田植えが終わったころで、田んぼには薄く水が張り、初々しい稲が立っていましたが、そんな平和な田畑にも焼夷弾がたくさん突き刺さりました。梅雨の合間の晴れた夜の事です。

手記によって、記録がさまざまなので、ここは総務省のデータを参考にしますね。


7月3日午後11時ごろ、空襲警報
   ↓
翌7月4日午前2時56分、高松中心部をメインに、B29・116機の襲撃。
まず照明弾が投下され、高性能爆弾24t、焼夷弾809tが投下される。
人々の退路を断ち、106分絨毯爆撃。
死者数1359人、負傷者数1034人、行方不明者数186人
最も死者が多かったのは、高松市中新町ロータリー付近と、栗林公園北の稲荷神社付近



空襲の数日前に、米軍のビラが撒かれ、「7月3〜4日に高松を空襲する」と予告があったとか。
すでに6月28日、対岸の岡山が焼かれており、高松中心部に住む人々は、家族や財産を郊外へ疎開させようとします。が、今の感覚では信じがたい事ですが、地区の責任者は「非国民、家にとどまり、空襲の際は町を守れ」と叱責。住民は疎開はできず、被害は小さくできませんでした。

当時、13才の小西さんは高松市丸亀町在住。(まさに中心部)
小西さんはひとりで爆弾と死体を避けながら逃げ、高松工芸高校(←わたしの出身校)にたどり着き、そこで集中的に空爆を受けたそうです。

大勢の知らない人と一緒に「あつい、息が出来ない」と、必死で耐えた。隣にいた知らないおばさんが覆いかぶさってくれて、運良く助かった。
そのおばさんは、頭を割られて死んでおり、脳漿が飛び散りわたしの体は濡れていた。
そうして、どこをどう歩いたか、まったく記憶がなく、自分で知らないうちに、とんでもなく遠い所へ行っていた。その後、家族に無事会うことができたのよ。

…小西さんから聞いたのは、そのような情景でした。

借りてきた手記で、あらためてその情景に、違う登場者がいることに気づきました。
クロという小西さんの愛犬で、戦時供出をまぬがれ(毛皮にならずにすんだ)、彼女はクロと一緒に逃げていたのでした。小西さん、自分より、かよわいものを守っていたんですね。

そしてわたしがやはりすごいと思うのは…
空襲直後の焦土の中、死んだものへの哀悼を彼女が持っていたことでした。
頭の割れたおばさんの顔を、そっとかぼちゃの葉で隠して別れを告げ、路上の瀕死の馬を見つけて「ごめんなさい、あなたはもう死ぬのよ」とその目を閉じてやる…。
誰も皆、我が身のことで必死の時、13才の彼女はそうしていたのでした。



ほんとうに、厳しい強い父性と深い母性、両方兼ね備えた人物ででしたよ。


思い切り悪い、しかしいろいろ変えたい… 
そんな優柔不断な?香川県民のお尻をたたき、アイデアを与え、相談に乗り… 皆、エネルギッシュで人脈の広いもんちゃんを頼りにしていました。

小西百々代さんが、画廊を閉じてもう10年経ち、その間にも香川県のアートは大きく進化しました。
そして、以前はネットでも検索すると、彼女のインタビュー記事や関連情報がいろいろ出ていたのですが、今はめっきりなくなり、あんなに香川県の立役者であったのに…
ああ、現役を退くとはこういうことなのか…と寂しくなりました。


残念ながら小西さんの写真が手元に一枚もなく;;
今さらしまった!と思うのですが、
当時は、カメラを向けるなんてとても恐れ多い…と思っていたのでした。無邪気に一緒に写真を撮っている、年下の作家さんがうらやましいな〜と思っていました。
今は、言葉が厳しくても、たいへん愛情の深い人だったと本当にわかるので、飛び込んでいけば良かったなあ…。

香川県高松市丸亀町商店街にあった、宮武画廊とそのオーナーの小西百々代さんのことを、検索していた方へ。
もんちゃんの人となりを、少しでも知っていただければうれしいです。(^^)

posted by 宮崎佐和子 at 17:11| Comment(0) | 日記