2017年07月02日

■小西百々代さんについて。(宮武画廊)

ちょっと長いお話です。

高松市の丸亀町商店街にあった、「宮武画廊」という小さな地下にある画廊喫茶を、ご存知の方はいるでしょうか。
オープンは1963年、オーナーは小西百々代さん。通称もんちゃん。
10年前の2007年に商店街の再開発にともなって、43年続いた画廊を閉じました。※四国新聞
その小西さんが先々月5月6日に亡くなりました。
わたしは、※フェア開催中に来られた方からそのことをお聞きし、ええっ!という思いでした。

「もっといろいろお話を聞いておけば良かったな…」


和うるし工房あい の始めての作品展は、2001年の4月。
この、もんちゃんのお世話で「宮武画廊」で行いました。


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16年も前!なつかしいなあ〜(;´Д`)

…実はというと、怒られそうですが;;
当時若かったわたしは、「もっとキレイでおしゃれなギャラリーがいいなあ〜」とちょこっと思いました。(←アホ)
しかし松本が、香川県の作家さん、アーティストさんは、皆もんちゃんの世話を受けて世に羽ばたいている、香川県で拠点を置いて仕事をする事はそういうことだ、と淡々と諭し、わたしたちは薄暗い地下へ続く階段を降り、「宮武画廊」の戸を開けました。
(のちに、そこはもと防空壕だったと聞きました)

そこは昭和感満載の、穴蔵のような喫茶店。広い壁面が展示スペースです。
古びたテーブルには常連さんがズラリと並んでコーヒー片手に新聞を読み… その一角で、お客様と論争している小柄な70才くらいの女性、それがもんちゃんでした。
もんちゃん、たしか、人間国宝の先生とも論争していましたね〜〜。
(な〜にが伝統“的”工芸品だよ!ごまかして!みたいな会話でした)

さて、わたしたちは座るなり…。
あいさつもそこそこ?
いきなりもんちゃんのトークが炸裂!! 彼女が、最近思っているすごい圧力の会話を一方的に聞くはめとなりました。
和尚さんの前の小僧のように座っていたなあ〜。(長かった!)
やっと、もんちゃんの激しい?一方的な話が終わり、彼女は「あたし、こんなんやけどええ?」と笑いました。
そして私たちのことを聞き、「ほんま、香川県の漆芸はねえ… どないかせんといかんのよ」とつぶやき、この画廊は年に2週、若手デビューのために枠をとってある、その一つを使ってあげる、と彼女は言いました。

そこで行った、最初の作品展は地元でかなり話題を呼び、有り難いことに大勢のお客様がいらっしゃいました。
そこで今でも長くお付き合いしている方々に初めて逢った大切な場所となっています。
宮武画廊さんでは、その後もう一回お世話になっています。


小西さんにお世話になりましたが、驚くほどわたしは彼女の事を知りません。
なぜ画廊を開くことになったか… ご家族はいるのかなど。それまでの人生。
知っているのは、いつもこのもと防空壕にいること。香川県を愛していること。ちょっとこわいこと。
そして、県庁の人、政治家がひっきりなしに訪れ、何かを話して帰っていくこと。
「香川県のアートはもんちゃんに聞け」ということでした。
とにかくミステリアスな人で、わたしにとって、近寄りがたい雰囲気があったのです。
ジブリで例えたら、美輪明宏さんが担当してるキャラのようで(もののけ姫の『モロ』とかハウルの西の魔女とか〜)性別を超え人ならぬオーラも持っていらしたのですね〜〜。(ー_ー:)
そこらの平凡な人間がおそれるのは、無理はないとおもうのです…。

とある会社のエライさんも、ときどきもんちゃんに呼びつけられていたのですが
「いつもこの階段を降りる時は、すごく緊張する……」とつぶやいてましたから。(汗


そんな中、わたしが唯一彼女の「素」を垣間みたことがありました。

2回目の作品展の時だったのですが…
もんちゃんが手書きの原稿をふと持ってきて、わたしに読ませてくれたのです。
読むと、それは10才ちょっとくらいの女の子の手記でした。
昭和20年7月4日の「高松空襲」の体験談です。
よく事情がわからず、とりあえず読み終えると、もんちゃんは「これを書いたのはわたしなんやで」と言いました。

えええっ。((((;゚Д゚))))

そうです。彼女は13才の時に被災していたのです。
しかし当時のわたしは、人生の奥の悲哀やふかい襞がよく理解出来ず、そのままもんちゃんに原稿を返し、あまり話題も続きませんでした。
なにより、手記の中の「あつい、こわい、たすけて」と逃げ惑う少女と現実のもんちゃんが、わたしにとってすごくかけ離れて見えたのです。
目の前の彼女は、怖いもの、屈服するものはこの世にないとばかり、超然としていたのですから…。


そして、先日もんちゃんが亡くなったと聞いていま、わたしは高松空襲の本を読んでいます。
手元の本には、彼女が43才の時に描いた別の原稿が載っているのです。

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(続きます)

posted by 宮崎佐和子 at 14:21| Comment(0) | 日記